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ピアノ協奏曲 (アイアランド) : ミニ英和和英辞書
ピアノ協奏曲 (アイアランド)[ぴあのきょうそうきょく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きょう]
  1. (n-suf,n-pref) cooperation 
協奏曲 : [きょうそうきょく]
 【名詞】 1. concerto 
奏曲 : [そうきょく]
 (n) (abbr) sonata
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ピアノ協奏曲 (アイアランド) : ウィキペディア日本語版
ピアノ協奏曲 (アイアランド)[ぴあのきょうそうきょく]

ピアノ協奏曲変ホ長調は、ジョン・アイアランド1930年に作曲したピアノ協奏曲。この曲が彼の唯一のピアノ協奏曲であり、ヘレン・パーキン(Helen Perkin)(1909年 - 1996年)に献呈された。初演は1930年10月2日、〔訳注:1893年開場、ロンドンのランガム・プレイス(Langham Place)のコンサート・ホール1895年から1941年まではプロムスの本拠地であった。(Queen's Hall)〕でのプロムスにおいて、被献呈者のパーキンによって行われた。
== 概要 ==
このピアノ協奏曲は瞬く間に成功を収め、クリフォード・カーゾンモーラ・リンパニーアイリーン・ジョイスジーナ・バッカウアーアルトゥール・ルービンシュタインといったピアニストらが度々演奏した。この成功に気をよくしたアイアランドは2作目の協奏曲の作曲を計画したが、第1楽章を完成するだけに留まった。彼はこの作品を「伝説 ''Legend''」と命名し、ピアノ協奏曲と同様にヘレン・パーキンに献呈した。彼女は1934年1月12日エイドリアン・ボールト指揮、BBC交響楽団の演奏でこれを初演している〔。
アイアランドはパーキンに対して恋心を抱いていたが、その想いが実ることはなかった。パーキンはゲオルギイ・グルジエフを信奉するジョージ・アディー(George Mountfold Adie)と恋仲となり、しばらくすると彼と結婚してオーストラリアに移住してしまう。そのため、アイアランドは上記2曲の献呈を取り下げた。
ヘレン・パーキンは王立音楽大学プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第3番」を演奏しており、アイアランドはこれを聴いてロシア作品に影響を受けたものと思われる〔。彼のピアノ協奏曲が出版された時にラヴェルの「ピアノ協奏曲 ト長調」はまだ世に出ていなかったため、彼はラヴェルの曲を聴いてはいない。しかし、アイアランドの協奏曲にはプロコフィエフだけでなく、ラヴェルの協奏曲の影響が指摘されている〔。ジャズリズムには、ガーシュウィンの作品もヒントとなったと見られる〔。
この曲を最初に録音したのはアイリーン・ジョイスであり、1942年にレスリー・ヒューアード〔訳注:1897年生まれ、イギリス作曲家指揮者。ボールトの跡を継いでバーミンガム市交響楽団音楽監督になった。(Leslie Heward)〕の指揮、ハレ管弦楽団の演奏であった。ジョイスは1949年にプロムスがアイアランドの70歳の誕生日を祝う特別な回となったとき、この曲のソリストを務めた。この演奏も録音され、商業販売された。このコンサートの後、ジョイスは夫とともにアイアランドを夕食に誘っており、その席にはパーシー・グレインジャーも出席していた。アイアランドの80歳記念コンサートの際にも、この協奏曲が演奏された。この曲の録音はエリック・パーキンが2回、ピアーズ・レーン〔訳注:1958年生まれ、オーストラリアのピアニスト。協奏曲のレパートリーは75曲を超える。(Piers Lane AO)〕、キャスリン・ストット〔訳注:1958年生まれ、イギリスのピアニスト。王立音楽アカデミー等で教鞭も執っている。(Kathryn Stott)〕、コリン・ホースリー〔訳注:1920年生まれ、ニュージーランドのピアニスト。イギリスで活躍した。2012年没。(Colin Horsley OBE)〕、ジェフリー・トーザー〔訳注:1954年生まれ、オーストラリアのピアニスト、作曲家。神童であり、8歳でオペラを作曲した。2009年没。(Geoffrey Tozer)〕ジョン・レネハン〔訳注:1958年生まれ、イギリスのピアニスト、作曲家。(John Lenehan)〕がそれぞれ行っている。
この曲はかつてイギリス人の書いた最高のピアノ協奏曲であるとまでいわれたが、今日では顧みられることは少なくなっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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